2023/8/5 , 2023/9/3 μ-250

ニューヨークのヘラルドトリビューン紙の科学編集者、ジョン・ジョセフ・オニール(1889-1953)は、1953年7月29日06時30分(UT)に4インチF15 屈折望遠鏡、90倍を使って12マイル(約19km)もある巨大な自然の橋を見つけました。位置は危難の海(危機の海)の西端付近です。その晩のシーイングは素晴らしかったので オニールは倍率を125倍、さらに250倍に上げました。それでも橋を見ることかできたので、その存在を確信したのです。

オニールのスケッチはこちら

報告を受けた当時BAA(英国天文学協会)月部門の部長だったヒュー・パーシー・ウィルキンスが15インチ反射望遠鏡を使って観測し、橋は実在すると発表しました。またウィルキンスはBBCのラジオインタビューの編集版で「橋は人工的なものである可能性がある」と受け取られ、騒動になります。

ウィルキンスのスケッチはこちら
(リンク先のLPODのページの左側の画像)

もちろん現在ではそのような地形は存在しないことが判っています。
オニール橋をめぐる経緯について、moon wikiなどに詳しく書かれていますので、興味のある方はご覧ください。


オニール橋のスケッチというと、上記のウィルキンスのものをよく見かけます。またネット上の記事では、ウィルキンスのスケッチをオニールが描いた物として誤って紹介しているケースも見かけます。

オニールは機材が小さいこともあると思いますが、スケッチがあまり正確ではないようです。一方、ウィルキンスのスケッチはさすがに細かい部分まで描かれていて、橋とその影らしき物(?)もよく判ります。

気を付けないといけないのはオニールが橋を発見したときと、ウィルキンスがスケッチした日では月の位相がかなり違うことです。オニールのタイミングだと危難の海は暮れかかっていて、橋の下を通ったとされる光が暗い海を背景に扇型、あるいは三角形に広がる様子が見えます(オニールは扇形というよりも不定形の塊と見たようです)。

2023/8/5 03h39m μ-250

上の画像はオニールが橋を発見したときとほぼ同じ太陽高度で撮影しました。円内が扇型に広がる光です。オリーブ岬とラヴィニウム岬が繋がっていて橋になっており、その下を通り抜けた光が広がっていると考えたのでしょうか?
実際には2つの岬は繋がっておらず、そのあいだを通った光が広がって見えています。


ウィルキンスのスケッチのタイミングだと危難の海はまだ半分くらい光が当たっていて、扇型の光は見えません。そして橋とその影とされる物(?)が見えています。

2023/9/3 01h24m μ-250

2023/9/3 01h39m μ-250


moon wikiによると、ウィルキンスが橋と見間違えたのはプロクルスPAという小さなクレーターの東縁とその影ではないか、ということです。

上の画像の部分拡大

上の画像の白い円の中央にある丸い影の部分がプロクルスPAクレーターです。その東縁(右側の縁)によって東(右)に投影された影を橋によって出来た影と見間違え、太陽に照らされた内部を橋の下に差し込む光と見誤ったのではないか、ということです。

上述のLPODに、ウィルキンスのスケッチと地上から天体望遠鏡(C14)で撮影した画像を並べて比較しています。並べて見比べると、何となく見間違えたのも理解できるような気がします。


下の画像はLROによるオニール橋付近です。中央の半分影になっているクレーターがプロクルスPA、その左がプロクルスPです。

(C)NASA LROC Images

下はNASAのLROC QuickMapによる画像です。危難の海側から月の中央に向かって見ています。 中央の影になっているのがプロクルスPAでその向こうがプロクルスPです。その右側がオリーブ岬、左側がラヴィニウム岬です。
PAとPのあいだの周壁に僅かな凹みのような隙間がありますが、ここから漏れた光が扇型になって見えているのかな?という気がします。しかし手前の地形が複雑で、何処から光が来ているのかよくわかりません。また条件が良い時があれば、扇型の光の変化を見てみたいと思います。(ロビンソン氏のサイトのシミュレーションを見ると、すぐに光は途中で途切れてしまいそうです。)

(C)NASA LROC Images


ウィルキンス(1896-1960)は多くの月面地図を作成し、300インチの巨大な月面地図も発表しました。しかしウィルキンスの地図は詳細がぎっしりと詰まっており、その一部は架空のものであったため、ほとんどの地図よりも役に立たなかったそうです。
moon wikiより)

300インチの月面地図はこちら
(一番下のClick hereより)

当時の雑誌の記事によると、オニールによって報告された天然の橋とされる物を最も熱心に推進したのはウィルキンスです。オニール氏の先例は認められているが(名前は公表していない)、「公式の主張を登録せずに死亡したため」、発見の功績はウィルキンスにあるとしている。
この橋に関する騒動はプロの天文学者の間でウィルキンスの評判を傷つけ、最終的には英国天文学協会さえも傷つけ、彼は辞任を余儀なくされたとのことです。
2010.5.3付LPODより)

このリンク先に月面図が写っていますが、その大きさに驚かされます。


オニール橋をはじめとする過去の観測記録、それも見誤ったような観測の場合、どのような機材を使っていたのか興味があります。1953年当時のスカイアンドテレスコープを見ると、ユニトロンの4インチF15の屈折の広告が載っていました。対物レンズはアクロマートです。ネットの記事によるとこの機種は当時ポピュラーだったようです。しかしオニールが使った90倍のアイピースは付属していないようなので、また別の機種なのかもしれません。
上記のリンク先はスマホだとずいぶん縦長のページですが、一番下に当時のスカイアンドテレスコープの広告が載っています。


以前からオニール橋についてはよく知らなくて、何かモヤモヤしていました。それで手持ちの書籍やネットの記事を調べてみて大変勉強になりました。
実際はどのような地形でどんな風に見えていたのか。
またそれ以上に「オニールが見間違えた」ということだけではなく、ウィルキンスという著名なアマチュアの月観測家を取り巻く騒動が興味深かったです。

moon wiki、LPOD、Luna Cognita、Sky and Telescope(1998/1) 等を参考にしました。


真冬になって気流も悪くなりました。思うような拡大画像が撮影できない日が多いので、暖かくなるまで撮影日記の更新が少なくなると思います。その間は昨年の画像の整理や調べ物などに充てたいと思いますのでよろしくお願いいたします。